2004.10 おばちゃんアイリス友の会会報誌「アイリス」の随筆『私とアイリス』Vol.35に原稿執筆しました。 | ||
随筆「私とアイリス」 | ||
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秘密の花園ー大切な人のためだけに |
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花作りをはじめたのは、主人が亡くなってからです。昭和56年7月に54歳の若さで亡くなった主人お墓に花を供えても、夏は暑さのためすぐしおれてしまいます。それではと、お墓の下の畑に一年中花を絶やさず咲かせることにしました。春は福寿草、梅、臓梅、水仙、桜草、チューリップ・:「こんな誰も見ないところになぜ花を咲かせるのですか?」と聞かれたことがあります。「この上には大事なおばあさんとお父さんがいるんですよ」と答えると、その人は「幸福なだんな様ですねえ」と言ってくれました。 ジャーマンアイリスを初めて知ったのは、平成3年に知人に誘われて参加した「アイリスの郷」へのツアーでした。行ったのが6月10日だったので、残念ながら花はほとんど終ってしまっていましたが、写真を見て5鉢求めました。その内の4鉢が今でも咲き続けております。 |
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ジャーマンアイリスと村の小さなエピソード |
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ジャーマンアイリスにはたくさんの思い出があります。 ある日きれいに咲いたジャーマンアイリスの花を切って、孫娘に学校に持たせたことがあります。先生が「この珍しいきれいな花をもってきてくれた人はだれですか?」と聞いたので孫娘が手を上げますと、先生は「今日は皆でこの花の絵を描きましょう。」と言って下さったと孫娘が得意そうに話してくれました。 平成4年6月には、お友達から軽トラックいっぱいのジャーマンアイリスの苗をもらいました。お墓の畑にはとても植えきれないので、近所の畑を借りて植えました。道路脇でしたのでとても目立って、農協職員の方が「交換して下さい」と4種類のジャーマンアイリスをもってきてくれました。 あの頃はジャーマンアイリスが大変珍しく、通りすがりに見た人たちが車から降りて見物したり、「分けてほしい」と自宅を訪ねて来られる方もたくさんいらっしゃいました。「来年になったら分けてあげられます」と答えたものです。道路端に炭窯があり、そこに黄色、だいだい色、クリーム色、ワイン色のジャーマンアイリスを植えましたらとてもきれいでした。 近所にある幼稚園のバス停そばの造成地にも、道路脇にジャーマンアイリスをたくさん植えました。ある日近所の奥さんが「大変、大変」と知らせに来てくれました。摘まれた花が、そばにある馬頭観音様に供えられていました。 ほほ笑ましい出来事に「観音様も喜んでいるでしょう」と、近所の人たちと皆で笑い合ったことです。その幼稚園にも株を寄付しました。大輪の花が今でも園兄達を見守っています。 見事に開花した年は、花盗人用心に、珍しい花は目立たない所に植えるように心がけているこの頃です |
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ジャーマンアイリスで温泉旅行 |
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親戚の家が新築したときには、私の家のジャーマンアイリスを分けてあげました。私が自宅で株を掘り、それを車で運ぶ係、向こうの庭で植える係と、チームワークで作業したのも楽しい思い出です。翌年新しい土地で立派に育ったジャーマンアイリスは、ほしがる人がたくさんいて、申込みを受けるだけで大変だったとのことでした。「これでは自分の家のものがなくなってしまう」、と一部は山の畑に隠してきたと親類の者が嬉しそうに話してくれました。 安中市にアイリスの郷が開園した時には、友人・親類のものと見に行きました。そこで初めてジャーマンアイリスの値段を知った親類のものが、「これまで気軽にたくさんのアイリスをいただいて申し訳なかった」と、その後で倉渕温泉に連れていってくれました。 昨年にはゲートボール場のそばの畑を借りてジャーマンアイリスを植えました。今年見事に咲いてくれました。空気も水もきれいなこの土地で、四季の花々を楽しみながらゲートボールができることは最高の幸せです。 |
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おばあちゃんの花畑 |