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倉渕の姓
原田
 川浦と岩氷の二流の原田氏がある。
 川浦の原田氏は大蔵春遠祖とし、その子孫が筑前国御笠郡原田郷(福岡県)に住み姓としたといい、戦国末期に豊臣秀吉に破れ、全国に四散したという(大蔵朝臣原田家歴伝外)うち一流は再起を図り川浦村に土着した。本家は文男家で、天正元年没の宮内(世襲名)の位牌を伝襲し、家宝として祐定銘の刀も伝える。一族で西ヶ渕十一面観音堂を建立し、守り本尊ととする。堂には位牌と鏡が保管されている。
 岩氷の原田氏は宮内の次男の系統で、惣司家にも祐定銘の小刀を伝え、代々鎮守の天満宮の別当であった。字矢陸に分家した三男の祐太郎家は馬具一式を伝える。また、別流の岩氷の原田家の祖先は、十郎左衛門清種(天分十六年没)という。信濃上田(長野県)の戦いに討死し、その子雄左衛門氏清が岩氷の本丸に土着したという。十郎左衛門家を本家とし、一族郎党と分家とで原田十二軒組と言われる(原田家由来記)本家は寛永年間より代々岩氷の名主を務め、十三代雄三郎清継(明治三十六年没)は明治初年に戸長を務めた。昭和四九年から同五七年まで村長を務めた原田廉(平成3年没)は一族。
群馬県姓氏家系大辞典(角川書店) 執筆 市川光一先生

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