小栗上野介の悲劇

 明治政府最初の頃、役人の三〇%以上が当時の幕臣です。特に大蔵省・外務省、これは四割から五割までが幕臣でした。大きな藩にしてもたかだか六、七〇万石の人が、いきなり全国の財務を見てもどう税が徴収され、何処からどうなって……とは分りません。実際の実務は総て幕府からの役人がやらなければならなかったのです。外務省も全くそうでした。通訳が出来、条約が分る、交渉の経緯がわかる……幕府の外国方がやりました。江戸町奉行もお奉行様だけ代りましたが、それ以外は全員そのまま引き継ぎました。ですから、江戸政府から明治政府と言うのは巨大な断絶ではなくて、たとえば外国交渉は断絶がない、条約の履行も断絶がないという形で進んだわけです。

 その中で、唯一人だけ斬殺されたのが小栗上野介です。北海道で最後まで戦った方々も全員が斬殺されたわけではなく、「お前、外交を手伝え」とか、「海軍を手伝ってくれ」とか、許されている。

 唯一人、小栗上野介だけが、全く故なく斬殺された事は悲劇的な事だったと思います。逆に言えば、それだけ小栗上野介という方の能力が高いと鳴り響いていたということかもしれません。魔術のようにお金をつくって横須賀の製鉄所を造ったり、のちの日本に大変役立つことをしていますけれども、薩長から見ますとマジシャンみたいな方に見えたと思う気がするくらい、高い能力をお持ちになっていた方です。それがあのような事に繋がった、本当に残念な方です。

 小栗さんはこ安祥譜代にという家康公よりずっと前から松平家に仕えた一番古い三河武士ですから、ある意味では本当三河武士らしい、昔からの徳川家の家臣です。片方では凄い語学が出来る、近代の知識が有る、財政の能力が有る、企画力が有る。それでいながら一方では、三河武士の気持ちをずっと持っていましたから、「そう簡単に負けてたまるか」とか、「まだやれば勝てるのにどうしてだ」とか、「徳川が政治を繋いだ方がすぐに戦に走ったりしない」という考えもあったかも知れませんが、そういう方が唯一人、戦死でなく斬首という形で亡くなられた事は残念です。日本にとって大変な損失です。

 その後、日露戦争の後に、海軍の方(東郷平ハ郎)が「日本海海戦で勝てだのは小栗さんのお陰だ」と言ったり、色んなところで小栗さんのお名前が出てきていましたけれども、革命という時には故なくしてどうしてもこういうことが起こるものです。

 明治維新が一種の革命であるとすれば、「小栗さんには申し訳ない」けれど、世界の革命の中で最も死亡者の少なかった大変革だったと思います。フランス革命では、二百万人が亡くなっています。王党派と革分派で行ったり来たり、そのため多くの人を殺さなければならなかったので、ギロチンが出来た。とにかくお互いいが果てしなく殺し合った。日本はそう言う事にならなかった。幕臣の優秀な人材も明治政府に入って育っていった。その中で痛恨の方は小栗さんだろうと考えます。
小栗上野介機関誌『たつなみ 第33号』 小栗上野介顕彰会
小栗上野介企画展 記念講演「江戸を支えた武家の精神」から
徳川記念財団理事長 徳川恒孝 氏
徳川恒孝氏講演の様子(2008.4.5.15:00~)

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