視点 オピニオン21  上毛新聞掲載2006.6.27
栗本鋤雲と御蔵島 胸像が縁で交流深まる

 島崎藤村の小説『夜明け前』に登場する喜多村瑞見のモデル、栗本鋤雲(じょうん)の胸像が高崎市倉渕町の東善寺境内に、小栗上野介の胸像と並んで建てられています。

 看板の説明には「栗本鋤雲 瀬兵衛安芸守(せへえあきのかみ)(一八二二―一八九七年)。横須賀製鉄所建設の功労者。函館で開拓、病院開設。蝦夷(えぞ)・樺太千島巡視等に功績あり。慶応三年、滞欧中にアルプス登山した最初の日本人。小栗上野介とともに幕末の日本近代化に尽力。明治以後、報知新聞主筆として活躍。この胸像は鋤雲の門人、犬養毅(いぬかいつよし)が作らせ、御蔵島(みくらじま)に蔵置せられる石膏(せっこう)像を原型とする」とあります。

 明治の中ごろに、同姓のよしみで当時著名なジャーナリスト、鋤雲を訪ねた島の若者を「たぶん先祖は同じだろう」と鋤雲は快く受け入れ、その縁で石膏像が島に保管されてきました。

 昨年十一月末、御蔵島から同姓の栗本一郎さんが、鋤雲の胸像を確認においでになりました。御蔵島は東京から南へ約二百キロ。太平洋上に浮かぶ、海岸が黒潮に浸食され続け、おわんを伏せたような周囲十六キロの島で、最近は若い人たちがイルカウオッチングに訪れ、巨樹の島としても名高い所です。昭和三十年代の島の生活を描いた有吉佐和子の小説『海暗』でも知られ、歴史的には、一八六三(文久三)年に四百八十三人が乗ったアメリカの商船バイキング号が漂着し、それ以前は流刑の島でもありました。さらに遠く、丸木舟の縄文時代までさかのぼる歴史があります。

 五月下旬、「小栗上野介の史跡を歩く会」で島を訪問しました。鋤雲の石膏像は島の祖霊社の奥深く納められ、子供たちから「白(しろ)ん爺(じい)」と怖がられていました。鋤雲に関しては島のごく一部の人だけが知っている状況なので、東善寺の村上泰賢住職が、祖霊社の境内で御蔵島小中学校の生徒や先生に、小栗上野介の盟友として幕末の日本の近代化を進めた鋤雲の業績と、島にも貢献した彼の人となりを語りました。

 鋤雲亡き後、養嗣子栗本秀二郎は島に医師を派遣し続けました。鋤雲が島の人たちのために贈ったコイは代を重ね、ツゲの原生林に包まれる御代(みよ)ケ池に今も生き続けています。

 御蔵島では、案内してくれた栗本さんら村民の人柄の温かさもさることながら、観光化されていない自然に驚かされました。漁船で島を一周したとき「黒潮の流れが分かりますか」と質問がありました。船のエンジンを切ると、確かに船は流されてしまいます。地元の人には当たり前のことですが、山に住んでいる私には黒潮を体感できた大きな喜びの経験でした。

 お土産に持参した特製ラベルの倉渕の地酒「御蔵」は好評で、さっそく島の酒店で販売することが決まりました。これから島の人たちはお客が来ると、お酒を酌み交わしながら「実はこの酒は…」とうんちくが始まり、歴史と文化と先人の生きざまが語られることでしょう。
栗本鋤雲(じょうん)の胸像
ヘリからの御蔵島
鋤雲の石膏像
祖霊社の境内
御代(みよ)ケ池
漁船で島を一周
倉渕の地酒「御蔵」

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